吠えるエース

『平成の怪物』松坂大輔投手。

日本最速の投手と呼ばれる伊良部投手。

巨人の三本柱として活躍した桑田真澄投手、斉藤雅樹投手、槙原寛己投手。

トルネード投法と呼ばれた独特のフォームから繰り出される最速156km/hを武器とした野茂英雄投手。

真横に滑るような高速スライダーで当時の強打者達を悩ませた伊藤智仁投手。

 


一般的に言えば『平成の最強の投手』と言うと誰を連想するだろうか。

 


2013年において田中将大投手が24連勝、勝率1.000という日本球界を轟かす記録を作り出したことは皆さんの記憶に新しいだろう。

 


投手の投球が優れていても必ずしも勝ち星を上げることが出来るとは限らない。相手打線を0点に抑えたとしても、味方からの援護点がなければ勝ち星は付かない。

その点において2013年の楽天イーグルスはチーム全体で田中将大投手を支えていた。

 


負けないエース。

田中将大投手が無敗記録を作り上げた7年前に1人の投手が『負けないエース』と呼ばれた。

ダイエーホークス福岡ソフトバンクホークスに所属していた斉藤和巳投手である。

クリストファー・ニコースキー選手は「斉藤は別格」と語り、落合博満さんは「斉藤こそが球界で最も優秀な投手」と評された。

 


彼は1995年にドラフト1位指名でダイエーホークスに入団。しかし、入団当初から怪我に悩まされてプロ入り3年目には初の右肩の手術を行う。

当時の監督であった王貞治さんは斉藤和巳投手をあくまでも右の本格派エースとして期待していたと言う。

 


「エースは斉藤か、寺原」

王貞治監督を始めとする首脳陣たちは2003年1月という開幕前の時期にそう語った。

そして、首脳陣の予想は的中した。彼の転機はプロ入り八年目の2003年だったのは言うまでもない。

 


3月28日。

斉藤和巳投手は2003年度の開幕第一戦の千葉ロッテ相手に先発投手として抜擢されたのである。

 


対するロッテの先発はネイサン・ミンチー選手。

メジャーでの登板経験もあり、来日後は広島東洋カープを経て千葉ロッテマリーンズに所属。2001年には史上初の外国人投手両リーグ2桁勝利を達成し、パリーグ最優秀防御率のタイトルを獲得した。多彩な変化球を持つ技巧派の投手である。

 


QVCマリンフィールド斉藤和巳投手は開幕投手としてマウンドに立っていた。

開幕マスクの城島健司捕手のミットに白球が収まった。そして、一斉にレフトスタンドを埋め尽くしたホークスファンから歓声が上がる。

 


試合の結果は7-3でホークスの勝利。

この試合が彼にとって2003年の初勝利である。

三振を奪うと雄叫びを上げる。そして、そんな人間味と闘志が溢れる行動から、斉藤和巳投手は「吠える投手」との愛称で呼ばれた。

そして、その後も斉藤和巳投手は杉内俊哉投手と和田毅投手に並んで三本柱として活躍した。

 

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この年の斉藤和巳投手の成績は20勝3敗。

同年、ホークスは『ダイハード打線』と呼ばれた強打者の揃った打線を率いて日本一の栄冠を掴んだ。

斉藤和巳投手もその日本一の立役者だということは言うまでもない。

 


最多勝最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン沢村賞――――堂々たるタイトルを総なめにした。

ファンから後ろ指を指されながらも怪我に泣いた斉藤和巳投手にとって最高の記録を生み出せた一年だったに違いない。

 


2004年には防御率6点を記録しながらも10勝を上げると言う驚異的な勝ち運を見せつけた。

 


しかし、彼に悲劇の予兆が現れてしまう。

2005年の開幕直前に右肩に激しい痛みを訴え、開幕投手和田毅投手に譲る形となった。

 


それでも彼は復活した。4月27日の日本ハムファイターズ戦を皮切りに9月7日のオリックスバッファローズに9失点の黒星を喫するまで驚異の14連勝を築き上げる。

それこそ、田中将大投手の連勝記録は斉藤和巳投手の勢いを連想させる物があった。

 


『投手の神様が降臨しているようだ』

2006年当時のソフトバンクホークスの監督であった王貞治さんからはと言わしめた。この年に斉藤和巳投手は投手四冠や準完全試合達成などの記録を打ち立てる。

 


開幕前、二段モーションに対する規制が厳しくなったため、斉藤和巳投手はワールドベースボールクラシックの選考を蹴ってまでフォームの改造に取り組んだ。

 


たが、それが確実に右肩の爆弾に重荷として伸し掛かっており、着々と崩壊への序曲が始まっていた。

 


ホークスはシーズンが終わって三位。リーグ一位から三位まで勝率六割というハイレベルな争いであった。

プレーオフへ進み、同率二位である西武ライオンズとの一戦目は斉藤和巳投手の好投も虚しく1-0で敗北を喫したが、それでも西武に二連勝したホークスはプレーオフ第二ステージにて日本ハムファイターズと対戦する。

しかし、一戦目は日ハムの先発ダルビッシュ有投手相手に先制するが逆転される形で敗北。

10月12日、後に引けないホークスは斉藤和巳投手を最後の切り札として投入する。これまで斉藤和巳投手はポストシーズンに0勝5敗と弱く、王貞治監督にとって賭けであった。

 


対する日本ハムファイターズも引けなかった。

2006年限りで引退を表明していた新庄剛志選手のためにも北海道移転後初の悲願のリーグ制覇が懸かっていたからである。

両者の意地がぶつかり合った時、斉藤和巳投手も新人である日ハムの先発八木智哉投手も好投を見せ、試合は0-0の均衡を保ったまま9回裏を迎える。

 


この回、先頭打者の森本稀哲選手に四球を与えて出塁を許してしまう。この時に斉藤和巳投手は妙な胸騒ぎを感じたと言う。

 


続く田中賢介選手に二球目で送りバントを決められると、ソフトバンクベンチと捕手の的場選手はチャンスに強い3番の小笠原道大選手を敬遠することを選んだ。

 


それは4番のセギノール選手との勝負を選んだことを意味する。セギノール選手は言わずもがなパワーヒッターである。

斉藤和巳投手にファールで追い込まれたセギノール選手は144km/hのフォークに空振り三振。

 


そして2アウト、ランナーは一、二塁の場面に5番の稲葉篤紀選手が打席に立っていた。札幌ドームのボルテージは最高潮に達して、歓声とジャンプでグランド全体が震え上がる。

そんな中でも斉藤和巳投手の151km/hの剛速球が的場選手のミットに突き刺さる。126球も投球していたとは考えられないスピードである。

 


ネクストバッターズサークルには今シーズン限りで引退を表明していた新庄剛志選手。

『初球から振って行こう』と決めていた稲葉篤紀選手は142km/hのフォークを見逃さなかった。

 


センターへと抜けようとした打球。

大きく回り込んだセカンドの仲澤選手は好捕する。

ショートの川崎宗則選手が二塁へとカーバーへ入った。そして一塁ランナーの小笠原道大選手は二塁へと飛び込んだ。

 


審判の判定は

 

 

 

ーーーセーフだった。

 

 

 

仲澤選手の送球は僅かに逸れた。

川崎宗則選手は姿勢を崩してタイミングがズレた。

 


状況を理解できていなかった斉藤和巳投手の目には三塁を回って本塁へ滑り込む二塁ランナー・俊足の森本稀哲選手の姿が映る

 


その瞬間、ソフトバンクホークスの敗北が決まった。そしてベンチから日本ハムファイターズの選手やコーチたちが飛び出す。

 


斉藤和巳投手の脳裏には自らの師である王貞治さんとの約束がよぎり膝から崩れ落ちた。歓喜に沸く日本ハムファイターズの選手陣を尻目に膝から崩れ落ちた。

 

 

 

「秋には必ず戻ってくる。プレーオフを勝とう」

 


「監督の待つ福岡に戻ろう」

 

 

 

カブレラ選手とズレータ選手に左右から抱えられて斉藤和巳投手は退場した。この9回裏の戦いは野球を知らずとも有名な光景である。

 


それは127球目、9回2アウトからの悲劇だった。

 


右肩の炎症が原因で斉藤和巳投手は翌年の2007年を境にグラウンドから姿を消した。

右肩の怪我が想像以上に悪化しており、歩くだけで激痛が走ることもあった。彼にとって肉体的にも精神的にも辛い日々が続く。

二軍でもボールを投げられない毎日はかつて闘志を剥き出しに戦っていた斉藤和巳投手にとって想像を絶する苦痛であったに違いない。

 


現役復帰を断念―――2013年に2008年から5年間続いたリハビリ生活に終止符を打つことを決めた。

 


そうして2008年から5年間、1軍のマウンドでボールを握ることのなかった斉藤和巳は2013年9月28日に引退セレモニーのマウンドに立っていた。

捕手を務めた城島健司さんのミットにワンバウンドして白球が収まると大歓声が上がる。

その瞬間、彼の顔には満面の笑みが浮かんでいた。その姿は紛れもなく1人の野球少年だった。

 


彼は自身のブログ『ROUTE 66』にて自身の18年間についてホークス関係者やファンに対する感謝の言葉とともに綴る。

 

 

 

 


『最高の野球人生を過ごす事が出来た!』

 

 

 

 


『しんどかった思い出がほとんどやけど、幸せな野球人生やった!』

 

 

 

 


そして最後にこう締めくくった。

 

 

 

 


『最高や!』

 


『幸せや!』

 

 

 

 


『野球の神様ありがとうございました!』

 

 

 

『新しい人生、スタートします!』

 


福岡ソフトバンクホークス 斉藤 和巳 66』