僕が空手を始めた日①

今日もちょっとだけ真面目な話。

 

 

僕の人生が変わったのはあの瞬間だった。

あの瞬間ってどの瞬間だよ、と思うかも知れない。

だから、これから、その話をしていこうと思う。

 

 

 

知ってる人はいるかな。

僕らが子供の頃、大人たちは格闘技に夢中だった。僕の親父も格闘技が好きだった。大晦日は絶対に格闘技を見るためにテレビを占領していた。

 

僕の親父は体がデカい。

柔道をしていて軟式野球4番バッターだったからデカい。170cmくらいで体重は80kgオーバーの巨体でデカい。

でも、そんな親父が釘付けになったのは、親父なんかよりもっとデカい、2メートル近く100kgを軽くオーバーする大男たちの殴り合いだった。

 

 

僕らが子供だった頃、紛れもなく、日本は世界の中心だった。

 

そんな時代の話。

 

 

 

その時代、ブラウン管テレビの向こう側に、僕の人生で最初に憧れた人間がいた。

 

 

 

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皆はピーター・アーツを知っているだろうか。

 

 

大木を切り倒す斧ような鋭くパワフルな蹴り。

大振りながらも真っ直ぐ整ったパンチ。

そして、逆境に追い詰められてもカウンターで相手を沈める勝負強さ。

 

ボロボロになりながらも、流血しながらも、最後にはニィと笑いながら会場を感謝の言葉を述べる。

 

 

筋肉で膨れ上がった腕、脚、胸、背中。紛れもなく僕の憧れだった。僕もピーター・アーツのように同じ舞台に立ちたかった。

 

小さな僕にはそんな機会なんてなかった。キックボクシングジムや総合格闘技のジムどころか、ボクシングやレスリングですら練習場のない場所。

おまけに目と心臓があまり良くなく、運動には不向き。根性はなくて泣き虫だった。

 

 

 

 

ここから話が少し逸れる。めちゃくちゃ暗い話になる。このブログが軽快なアホブログから、メンヘラの自分語りブログに転身する。

 

 

 

 

子供の頃はずっと塾とスイミング、あとは携帯ゲームをしていた。運動なんてからっきしで、内向的だった。中学に上がる頃にはそんな自分を変えたくて、運動部に入った。

 

それが一番の間違いだったと今でも思う。運動ができない奴が運動部に入るとめちゃくちゃ浮く。何にもできない。走り方すらおかしい。おまけに心臓の関係であんまり長時間走れない。

 

卓球とかテニスなら良かったかも知れない。僕が入ったハンドボール部は不良とチャラい奴の集まりだった。おまけに顧問が熱血の体罰教師で嫌われ者だった。

 

同級生も俺に雑務を押しつけてミスがあると集団で責めたり金を巻き上げたりした。不良の先輩には毎日サンドバッグ扱いされたり、ズボンを下ろした状態で女子の前に投げ出されたりした。

 

そんな姿を見たら誰か俺に哀れんでくれないのかなと思ったらそうでもなかった。目の前にパンツ姿の男が出てきたら誰だってキモいし、殴られてる奴はマヌケに見える。

 

同じクラスの人間にも嫌われていた。陰口に悪口に。物が無くなったり、机が無くなったり、廊下を歩くだけでデカい声で「来るなよ」の一言。

 

先生も誰も助けてくれなかったと思っていた。でも、今考えると自分から信号を出さなかった俺が悪い。世間なんて誰も自分を見てくれない。

 

自分から信号を出さなかったのも、先生に頼るしかできない弱い奴と思われたくなかったし、そもそも人の好き嫌いなんて誰かの一言で変わるわけない。

 

学校中のみんなが俺を嫌っていたと思い込んで、中学1年の最終学期には学校に行けなくなっていた。未だに人混みとか女の人の視線とか大きな音がちょっと怖い。

 

ずっと暗い部屋でボーとする毎日。

あんまり良い思い出じゃない。

 

人生が本当に最悪な瞬間だったかも知れない。

 

思い切って自殺できる人間が羨ましかった。俺はできなかったしずっと辛かった。自分可愛さにリスカも首吊りも飛び降りも出来なかった。家族を悲しませたくなかったし、自分が自殺してマヌケ扱いされるのも嫌だった。

 

こんなことしてる自分が今思うと一番のマヌケだった。

 

 

そんなマヌケはまだ、空手を始めない。